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姫島の吾智網(ごちあみ)漁
高校生「聞き書き」作品集

MV 姫島の吾智網漁
※この作品集は高校生により作られたものです
取材対象者 竹内 寛治(大分県東国東郡姫島村)
聞き手 大海 睦月・山下 由衣(大分県立国東高等学校双国校1年)
取材日 2015年9月12日・10月4日

爺ちゃんからもらった船

おり(私)は竹内寛治。昭和19年12月9日生まれやから、今年で70歳になるな。生まれたのは姫島で、小学校も中学校も姫島の学校に通いよった。物心ついた頃からとにかく漁が好きでな、勉強そっちのけでじいちゃんと一緒に漁に行きよったがな。

中学校3年生のころ、じいちゃんが小さい船をこしらえてくれて一人で漁に行きよった。中学校を卒業してすぐに漁を始めて、姫島の船子(ふなこ)として3年くらい働いた。家庭の事情で働き手がいなかったから、高校に行くっちいう考えはなかったな。船子に行きながら色々なことを教えてもらいよった。その時は「タコ壺(つぼ)漁」と「フグ延(はえ)縄(なわ)漁」っちいう2つの漁をしよったな。20歳の時に自分の船をこしらえて、独立して漁を始めた。最初は「タコ壺(つぼ)」や「一本釣り」をしよった。

竹内さんの寛宝丸
竹内さんの寛宝丸

山を見て漁場に行く

始めた頃は夜も寝られんくらい不安やった。自分たちの経験から獲れる場所を覚えよった。20歳くらいに自分の船で漁をしだしてから、夜寝ちょっても、ずっと頭の中でおさらいをしよった。やっぱ苦労したよ、その時はな。今は楽なもんで。昔は、魚群探知機とかGPSとかの機械は何にもなかった。今ではプロッターで全部位置を特定できるけど、そのときは、そんなもんがないからポイントを見るのに山を全部頭の中に入れよった。そうせんと、タコ壺や網を仕掛けた場所を忘れてから漁具が無くなってしまうからな。

1つタコ壺を仕掛けるのに最初と終わりの2つ山を見らんと悪いからな。10(とう)やりゃ20見ないといけないっちいうことやから。だいたい山っちいうのは三角に見るからな。「西」と「東」、「沖」と「陸(おか)」を見るのに、目印があるような山とか、一番速く動く山とかを見よった。そげせんとポイントがとれんからな。海は山しか見る物がないからな。

船が少し動くと山が動くわ。速く動く山を見る。遠くの山やったら船が少しくらい動いても山が動かないので、やっぱ、前の近い山を見ないといけん。そういうふうに山を見よったんやわ。

西東沖陸の見方

絶対に山っちいうのは、西・東と沖・陸(おか)を見らんと交わる接点がないからな。そやけど、見つけてからそんなに狂うもんやないよ。ずっと山を見て行って、着いたっち思ってGPS見るとピッタリ来ちょん。今でもGPSばかり見ちょったんじゃ、しゃーしい(忙しい)からな。

昔の者はそうやってやりよったんやけどの。今の若い人は見きらんよ。だからGPSが故障してから沖に行ききらん。ほとんどの船にGPSを積んじょん。ついてない船はないやろ。

姫島の山を見たり、地方(じかた)(国東半島)に行ったら、そこの山を見たりしよった。だけど、機械の方が正確や。GPSが一番いい。ピシャッと行くからな。昔は祝(いわい)島(しま)のこっち側とか、東灘とかに行きよった。姫島周辺やったら姫島の山が近いやろ。だけど向こうに行ったら今度は姫島の山が小さく見えるから、瀬戸の山を見らんといけんのや。

姫島周辺

若いときは、いろんな漁をしたな。全部一通りしてみたな。

始めたころは、人の話を聞いたり、見たりして覚えた。自分が漁をし始めてからは、自分でいろいろ研究して漁法を学んだな。それをずっと積み重ねたら今度経験がものをいうようになる。よっぽど仲のいい人やないと教えてくれんかった。今の人はみんなざっくばらんに教えるけどな。

1980年頃のバブル時代は、今の3倍以上、値段がよかったな。個人販売になった時は、京都に送りよった。京都から、岡山、広島、神戸、大阪。こっちは中津に行ったり北九州に行ったり。今は別府と契約して別府ばかりに行きよる。神戸の時は、おり達(おれ達)の鯛を、神戸の5軒の料亭が全部持って行きよった。「明石の鯛より、お宅の鯛の方が話にならんくらい良い」ち言いわれよった。

30代、40代は苦労したことんじょうや。生活がかかっちょったからなあ。今20歳になって船をこしらえても商売しきらんよ。でもその当時は20歳からしよったからな。「吾智網(ごちあみ)」を始めたのは昭和40年くらいやないかな。

「吾智網」や「一本釣り」をずっとしよった。昔は6月頃から夜、スズキを釣りに行って、3ヵ月釣ってから、秋網をやっていた。それから「吾智網」をしたり「一本釣り」をしたりした。自分が漁を好きやったから、こーえー(疲れた)、だれたのーっち思うことはなかったな。若かったから、面白えの一本やったな。

竹内さんの家族と共に
竹内さんの家族と共に

吾智網漁

吾智網は鯛を獲る漁やけど、どんな魚でも獲れる

なあ。吾智網は、瓢箪(ひょうたん)を半分に割って置いたような形になっちょる。そして、一番奥に、魚が集まる所がある。両端には200mのロープがついちょる。片方に200m、もう片方に200mあるのを手で繰る。潮の速さが違うから、落とそうと思う場所に落とすには工夫せんといけん。自分の経験と勘で魚が居る所を計算して、網を打つ。人によって網の打ち方が違う。一番魚が入るやり方を考えてやりよる。ロープ自体は鉛が入っちょんから総重量が50キロくらいあるんやわ。重労働やから、昔は3人で行きよったけどな。片方のロープは本当に重たいけど、ロープ一本で魚を網に追い込まなならんのやからな。表と後ろに分かれてくるのやけど、後ろでくるのは逃げないように押さえちょんだけ。魚が網から逃げんように、重たくして流れんようにするんやな。200mのロープがあって、その先に網がある。ロープを殺したら魚が網にいかんで。このロープを生かさんと。このロープでもって網に追い込むからな。袋を大きしてみたり、網の高さをちびっと高くしてみたり。今度は、すそを小潮やってからちょっと軽い網にしてみたり、潮が速かったら鉛が付いた重たいのにしてみたり。最後、網が張っちょんのをこぎ締めて、揚げる。姫島しかこの漁法はないけどな。

吾智網
竹内さんの家族と共に

姫島ならではの吾智網漁

吾智網っちいうのは、全部自分で網の図面を引いて作る。もとの網自体は網屋に行って頼むんやけど、個人個人、網の形が違うんや。図面があるんやけど、ちょっと見たち分からんやろ。一均一均仕立てが違うからな。

最初に図面を引いてから、間違わないようにぴしっと計算をして書いておく。間違っていたら、最初からやりかえんなならん。慣れれば簡単や。みんな慣れたら一緒やあよ、勉強するかせんかの違いやあ。

他の所だと、吾智網を引き上げる時に機械を使うんやわ。姫島は、ローラー吾智っち言って機械を使う吾智は禁止やから。手で繰るから慣れるまでは大変やの。手で網を繰るのは姫島しかない。ほかの所はローラー吾智や。

四季折々の漁

季節によって漁法は変わり、獲る魚も変わってくる。私たちは鯛だけやけど、獲る魚によって獲る場所が違ってくる。春と秋とでは獲る魚の通る場所が違うからなあ。

鯛は、寒くなってからは、ずっと佐賀関の海の深い所にいく。春は真子(まこ)をもって姫島の方に移動してきて産卵する。豊前に行くのか姫島の周りで産卵するのかは分からん。一文字(いちもんじ)の波止の沖では、真子を持った鯛がなんぼでも獲れる。

鯛は春が一番獲れるなあ。そして11月、12月頃また獲れる。姫島は鯛の通り道やからなあ。姫島は漁礁がたくさんあって、寒くなったら漁礁を離れて移動するからまた獲れだす。

新鮮な魚を出荷

今年の春はたくさん獲れたがなあ。2日間夜に漁に行ってからぼっこり入るからそのまま帰る。1回に100キロくらい入りよったな。車に積めれるだけ積んで、積めない分は残しちょって、次の日に売りに行きよった。

この時期(9月)は“すれ”がでるから2日くらいたったらまとめて売りに行く。“すれ”っちいうのは鯛が、真白になるんや。そしたら、見た目が悪いから、市場に持って行っても安くなるからな。綺麗なうちに持っていかんと。鯛は家にある生簀(いけす)にストックして、ある程度たまったら持っていく(出荷する)。

釣りの鯛より、「手吾智網」の鯛の方が値段的に全然高いなあ。「手吾智網」の方が、釣りより魚のストレスがないから傷みがない。吾智の鯛っちいうのは、餌についた鯛をとるからな。それを狙って獲るから鯛そのものも、釣りのように痩せてなくて太っちょんのやわ。やからやっぱ値段的に違うな。

すごいで、カレイは値段がいいで。やけどこの漁法(吾智網漁)が一番面白えよ。重労働やけどな。1回やるのに15、16分しかかからんからなあ。勝負が速いから面白え。1日に20回やるときもある。

後継者に悩む姫島の漁業

今、姫島の中で漁業をしよんのは100軒くらいかな。昔に比べたら半分以下くらいになったのう。あと10年もしたらおらんようになるよ。平均年齢60歳以上になるからな。今は、親がさせんから後継者が減ってきよる。昔は漁獲量が多かったけど、バブル時代が過ぎたら、かくっと下がったなあ。今はあんまり獲れんごとなったな。乱獲してしもうたんやな。おり達(おれ達)が漁師の時はよう獲れよったがな。昔と比べてから今はタコも、獲れる量が少なくなったな。

吾智網をしているのは、姫島で2軒しかないんやわ。そやから量的には今でも昔と同じくらい獲れるけど、値段的には安くなった。昔のような値段やったら今みたいにはりこまんでんいいんやけどな。

昔は船数(ふねかず)が多いかったから、魚が怯えて、よう獲れんかった。今日獲ったところでは、明日は獲らんで休ませよったな。

今のハイテクな時代に手で繰るような商売するもんはおらんよ。手で取った方が機械を使うより漁場が傷まんのやけどなあ。

網を引き揚げる竹内さん
網を引き揚げる竹内さん

吾智網漁で使う船

今の船の形やったら商売にならん。今の船はブランケット船ち言って、スクリューがむき出しやから、ロープを巻きつけてしまうなあ。昔の船の「キール」(竜骨船)ちいう形やなけら。「キール」の船がいいちいうのは、「かわら」(船底)の後ろに鉄板が付ちょんからな。大工さんに頼まんと売りよらん。船の大工もみんな年をとっちょるからかな。漁師は景気が悪いから、船を作りたくないわな。

姫島周辺独特の潮の流れ

漁に行く時は天気よりも、潮を見て行くな。潮が悪かったら、あんまり獲れんからな。場所によって潮が決まっちょるからな。

引き潮と、満ち潮だけやない。満ち潮になって、1時間経ったら前潮ちいう地方(ちかた)から潮が来る。それで2時間いったら今度は速い潮がまっすぐ来る。その潮をうけたら、ジワリジワリやわくなっていく。

「舵子(かじこ)」する時に、潮を見て舵子せんと、ロープが上がってしもうから、魚が下通って逃げてしまうから、巻き込むようにして追って行く。

 

潮の流れが、変わるから、網を仕掛ける所を変えんとならんからな。潮の流れを計算して網を落とさなならん。自分の経験と勘で網の落とす所を考えるんや。今の若い人は出来んやろうな。

口で言えるところはいいけど、経験しないとわからない所がほとんどやな。漁っちいうのは経験と勘でいかな目で見えん所におる魚を獲らんとわりんやから、長年の勘やな。

網を手入れする竹内さん

姫島の誇る魚礁

今は姫島の周りはどっこも魚礁入れちょるな。姫島みたいな所もなかろうな。360度どこでも商売(漁)が出来るんやからな。姫島は凄いよ。

今8000m(姫島から8km沖)ライン辺りは山口・愛媛の船が来よる。ずっと8000mラインに魚礁入れちょんのやわ。これがまた凄い魚礁や。漁礁を入れると、小さい魚が住みついて、それを餌にしちょる大きい魚がよってくるんやわ。

この魚礁を作ったのは昭和に入ってからやな。うちたちが漁しだした頃は小さな1トンブロックくらいのがあるだけであまり無かったな。

8km先は、水深35mくらいからずっと海が深くなって、深い所は50m以上ある。

熊毛の沖なんかは、一番深い所で43mくらいあるよ。熊毛口は瀬戸内のなかで一番深い所やな。そこに、だいたい9月の中頃なってからじわーっと魚が移動して深口に入るようになる。今年はまだ海が遅れちょるからそこまで来てないけどな。まだ魚礁の縁とか海の浅い所とかな。時期によって獲れる所が違ってくるから。

守り継がれる漁業権行使規約

吾智枠っちいうのがあって、姫島から何千メートルまではローラー吾智はしたらダメっちいうルールがあるんや。それが良いよな、資源管理型漁業っちいうのをして決めちょんからな。資源を傷まかしてしもうてから何にもならんわ。姫島はやる商売全部にルールがあるからな。

この姫島の漁業権行使規約っちいうんは、明治時代に作ったもんかな。それに各魚種が全部載ってある。1年分の漁休日とか、獲って良い時期とか、獲って良い範囲とか全部決めるんやわ。

漁業権行使規約はみんなで集まって話し合って少しずつ変えていきよる。意見がぶつかってなかなか決まらんこともあるな。昔の人はよく作れたなっち思うな。前は山の位置を見て、位置を示しよったから、漁業権行使規約にも全部山で書いちょるからな。決めるときは、その商売をしよる代表者が集まって決めたんやろうな。今の若い人はあんまり関心がないからな。

漁業権行使規約は、今の若い人が見ても山の名前を知らんからわからんやろうな。今の人はGPSに全部緯度・経度を書き込んである。全部数字で覚えちょる。おり達(おれ達)は反対で、数字言われてもわからんし、忘れるな。山やってから忘れん。そこが今の若い人と違う所やな。今の後継者に山を言っても覚えんな。

昔、漁を始めた頃は色々な種類の漁をしよったけど、漁師が減ったから、漁の種類もだいぶ減ったな。この商売(漁業)は、昔からしてないと出来ないからな。

漁業権行使規約は、他の地域の人からしたら考えられんよなあ。よく漁ができるち思うよ。こんなに詳しくしているのは姫島だけや。昔の人はこれを決める時は苦労したと思うよ。よく山を切って決めたと思うけどなあ。

姫島は360度海やから漁に向いているわ。漁的には恵まれているな。360度漁ができるような所は少なかろう。やっぱ姫島は海が美しい。

もうこん漁業権行使規約の中に載っている漁法でせんのはねーように、あらゆる漁をしたな。やっぱ最後は吾智網一本になったな。でもこれから10年もたちゃ漁師はおらんようになるよ。

竹内さんが獲った鯛
竹内さんが獲った鯛

姫島の料理

おり(私)は生臭いのが嫌いやから魚は全く食べんのや。生臭いのが嫌いやから触るのもゴム手袋して触るわ。子ども達が魚料理を好いちょるから奥さんが調理してくれる。おりがたの奥さんはいつも魚料理をしよる。姫島独自の魚料理っちいってからな、「鯛めん」やあな。「鯛めん」はみんな喜んで食べるよ。

姫島のうどんを打って、だし昆布を1つ敷いて丸ごと鯛を入れて、炊くんやわ。食べる時に中に麺を打ちこんで、ねぎを少し入れて食べる。姫島は「こつむし」も鯛でするからな。「こつむし」っちいうのは魚を大きく切らないで卵とだしを入れて蒸す。今姫島は「鯛めん」とか「こつむし」とかがメインやないかな。

「鯛めん」に使う麺は、歯ごたえの無い柔らかい麺やないと合わん。結婚式とか、お祝い事とかの席で出るな。

受け継ぎたい姫島の漁業

獲れないなら獲れるように考える、獲れたら、まだ獲ろうと思って考える。今でも網とか漁法を研究しよる。漁師は死ぬまで勉強や。ずっと同じ漁をするんやなくて色々考えて色々な漁をする。

やっぱ好きな人やないとダメや。なんの仕事でも一緒やろう。自分が好きな仕事やねかったら打ち込めれんわな。

獲れるか獲れないかやってみるのが面白いな。やっぱ好きなもんやねかったら続かんよ。

あれだけ魚礁作っちょるのに漁師がいなくなってみ。今の後継者はいい思いするで。

集合写真

竹内 寛治(たけうち かんじ)

生年月日:昭和19年12月9日
年齢:70歳
職業:漁業(吾智網漁)

略歴
姫島村立姫島中学校卒業後、姫島で漁師を始める。20歳の時に独り立ちをする。現在は家族3人で漁を行っている。

取材を終えての感想

1年 大海 睦月

私は、今回この世界農業遺産の聞き書きの活動を行って、たくさんのことを体験し、また学びました。最初のころは、何をすれば良いのかあまりわからず、不安がありました。しかし、1回目の取材に行った時に、竹内さんが漁のことなどを詳しく説明してくださったので、はやく理解することができました。2回目の取材は、船に乗って実際に竹内さんの行っている漁の体験をさせてもらい、操縦室の中や、魚が入っている水槽の中を見せていただきました。なかなか体験できないことを、させていただいてとてもいい経験になりました。
私はこの活動をして、自分の地域に対して今まで以上に興味・関心を持つことができました。この冊子を読んだ人にも、姫島のことに興味を持ってもらえたらなと思います。

1年 山下 由衣

聞き書きの取り組みをすると決まった時、分からないことばかりで不安でした。1回目のインタビューでは、緊張からなかなか質問できませんでした。ですが、インタビューに行った竹内さんのご家族が優しく接してくれたので、次第にインタビューすることが楽しいと感じるようになりました。

学校生活を行いながら、インタビューしたことを形にしていくというのは大変な作業でした。しかし、今回の取り組みに参加していなかったら、一生知らなかっただろうと思うことがたくさんありました。

私の父も姫島で漁師をしていますが、漁にルールがあることも、どの時期に何を獲っているかも全く知りませんでした。今回の聞き書きの取り組みを通して姫島の良いところが見えてきて参加して良かったなと思います。

インタビューを快く受けてくださった竹内さん、そして完成まで支えてくれた方々、ありがとうございました。これを読んで姫島に興味を持ってくれる人がいたらいいなと思います。

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