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試行錯誤の耕転事業 ~川をよみがえらせた青ノリ採り名人~
高校生「聞き書き」作品集

MV 試行錯誤の耕転事業 ~川をよみがえらせた青ノリ採り名人~
※この作品集は高校生により作られたものです
取材対象者 小野 高則(大分県宇佐市)
聞き手 川嶋 勇輝・渡邉 康太(大分県日出総合高等学校 総合学科)
取材日 2017年9月2日・10月1日・12月24日

最初は漁師好かんかったけど

私の名前は小野高則。昭和14年の10月18日生まれで、今年で78歳になるんよ。生まれは宇佐市の長洲で、長洲中学卒業。家計が苦しかったから、高校には行けんかった。中学出て、すぐ漁師になれち言われたけど、漁師が好かんかったんですよ。とにかく高校行って野球したかったけど行かせてもらえんかったから、1年間浪人しちょるんよ。でもすねたところで仕方がないから漁師になった。本当なら後継ぎは兄貴になるんやけど、兄貴は目があまり良くなかったけん、兄貴の代わりにお前がやれち言われて私が後を継いだんよ。漁師は「山立て」っちゆうて、遠くの山の位置を見て、魚を採る位置を見極めたりせないけんからね。

継いだあとにすぐ結婚しんたんやけど、前の奥さんが病気で死んだけん、2 回目の結婚をしたんじゃ。今は、その奥さんと 2 人で元気に漁師をして暮らしています。

大好きな野球がくれたもの

小学校4年生から上級生に誘われて野球を始めました。その頃は、戦争が終わって5、6年で本当に貧しかったから、ボールもまともなのがなくて石ころをぼろぎれに詰めてボールにしちょったよ。ポジションはピッチャーとショートやった。

社会人になってピッチャーをしちょったときは、当時は珍しい部類で、手首が柔らかいもんやから変化球が切れるんよ。県大会でもあと一歩で優勝というところまで行けたんよ。打撃面でも、結構打てた方やったから、自分が打ってランナーを帰して点が入ったときや自分が生還したときは、そりゃあ嬉しかったですよ。

トロフィーもいっぱい持ってますよ、最優秀投手賞とかね。なにより、野球が私にいろいろな力をつけさせてくれたちゅうことや。ピッチャーはある意味孤独に戦わんといけんし、決断力が必要や。手首とか体のしなやかさも今の仕事に活かされちょるな。

バッターとしても活躍していた小野さん
バッターとしても活躍していた小野さん

病気で手術して65歳で引退するまでピッチャーしよった。自分が生きてきた中での最高の娯楽のひとつに入っていると言えるんじゃないかね。孫も野球をしちょるから、今でもその練習につきあったりして、孫のおかげで運動するから健康なままじゃ。

道具へのこだわり

青ノリ鈎
青ノリ鈎

青ノリを採る道具は青ノリ鉤(かぎ)っちゅうてね。自分で扱いやすいような形にこの角度を合わせてあるわけ、角度が全部違うんですよ。でね、自分がやっぱ一番扱いやすい道具でもって青ノリを採るわけね。

青ノリ鉤が折れるちゅうこともあるし、折った人もおるけど、まず折れないね。万が一、壊れたときは、見本を持って行って、こういう物を作ってくれんかち、鍛冶屋にお願いするんじゃ。昔は鍛冶屋が多かったけんど、今はおらんから、昔、鍛冶屋をしよって今は鉄鋼研ぎをしよる人にお願いするんじゃ。この辺は漁港の町やから、船のエンジ周りがわかる鉄工所も多いから、刃が折れたら、そういうところで補強してもらう。青ノリ鉤は、まず2本持っていたら大丈夫。私のこの鉤の年数は恐らくもう60年位になるんやが。青ノリ鉤は1回作ったらね、まず一生物ですよ。大事にしますからね。

でね、この柄の部分の竹を押さえた時にね、しなったほうがいい。これが曲がらないような強い奴はだめ。なぜそう言うのかって、船に乗ったらようわかるんじゃけど、採る時になったらね、鉤に引っかけて採るわけね。で、こん時、青ノリの重みで竹がちょっと曲がるんよね。曲がったやつを水際で、その反動を使うわけ。そしたら今度、船まで青ノリが飛ぶんですよ、バーンって。それはまぁ名人の技ですけんね。

誰でもねぇ、水の中で引っかけるところまではできる。そして水際から船に採る時に、その技術がね。素人がやると引っかかったまま採れない。採れなくて何回もしないといけないから時間がかかるし品質も下がる。

青ノリ鉤で青ノリを引き上げるところ
青ノリ鉤で青ノリを引き上げるところ

組合で守る伝統の青ノリ作り

駅館川の中流のこの辺も漁場じゃから、青ノリが付くんよ。ここから赤橋が見えるでしょう、あれから200メートルぐらい上まで青ノリが採れるんじゃ。採れるのは2月とか3月、寒い時期だけ。その年の天候によって違うけど。

採る位置は、組合長さんが「今日はここからここまで採りますよ」ということを決めます。組合長の笛で組合員が一斉に採り始めます。そして、船に積んだ量を組合長が確認してストップを掛けます。これが青ノリを採りすぎないようにするための組合の中の鉄則ですね。大体15分か20分くらいの時間帯でストップをかけます。

だから腕のある人とない人ちゅうのはハッキリ言って、それだけ差が出ます。うちがまぁ仮に4キロ採ったりすりゃぁ他の人は2キロ、1キロとか。自分の船に積んだ量ちゅうかね、採ったキロ数ちゅうのは全部自分のものになりますから、真剣勝負ですよ。

一斉に青ノリを採る組合員たち
一斉に青ノリを採る組合員たち

その次に収穫して終ったら「明日はここからここまで採りますよ」ということを、皆さんに連絡を取ります。そしたら、軽トラックに積み込んでここから1キロぐらい上に上ったところに、洗い場があるんですよ。そこできれいに泥を落として小石を取ったりとかしてね。ほってそれを洗ったら水をよく切って、切ったら家に持ち帰って倉庫中にかけちょきます。水がよく切れてから、ほら乾燥が早い。そして次の日の朝6時ぐらいに起きて、この写真(右)のようにずっと青ノリを干していくわけ。

ほんで1時間半から2時間ぐらいたったらね、‘あせり’ちゅうてね。今度は乾燥あんまりしたら、くっつきよっちゃってね。青ノリ広がらんのですよ。あまり乾燥しちょらんうちにあせっていく(広げる)わけ。ほったら糸みたいに、こうきれいにぶら下がります。

採った青ノリを洗っているところ
採った青ノリを洗っているところ

そうしてそれが終わって2時間ぐらい休んじょったら、頭を待ちあげていくんです。ロープに掛かっちょる分は、間に風が通さんでしょうがね。ぶら下がった分は風通すから乾くけど、重なっちょんところは乾かんから、これをねぇ、‘頭持ち上げる’と言ってね、つまんで持ち上げていくんです。

そしたら、もうそれでもって、その日の工程が終わりなんです。あとは乾燥室で2時間ぐらい乾燥して、「もう乾燥できたな」というのがわかれば、次の日は収穫していくと、それの繰り返しです。

こうやって手間暇かけてできた青ノリは、他では味わえない絶品の色と香りになるんよ。これほどの質のいい青ノリはもうあまり見られんわ。今はここ以外、四万十川しか天然が採れよらんやろが。

1枚1枚広げて乾燥させている青ノリ
1枚1枚広げて乾燥させている青ノリ

うちのはそこら辺で売っている青ノリとは全然違う。天然ものが採れると言うことはものすごい財産なんや。大分県が誇る財産といっていもおかしくない。全国放送のテレビ番組や新聞社も取材に来てくれた。ありがたいことに、あちこちの業者やがレストランが注目してくれて高値で買ってくれる。やけん、今年は青ノリが手に入らん。人気がありすぎて、在庫がなくなってしまったんよ。

今は時期が違うから、今度、青ノリが採れるときにきたら、生の青ノリをごちそうするよ。うちでは青ノリを刺身にして三杯酢で食べるんよ、そらおいしいよ。青ノリは同じ場所から3回目まではやわらかくて、生で食べてもおいしいんじゃ。それ以上摘んだら堅くなるからね。

乾燥した青ノリと生の青ノリの三杯酢
乾燥した青ノリと生の青ノリの三杯酢

人がもたらした川の汚染

昔の川は今とは全く違い、裸眼で川の底までみえるほど澄んどったよ。それはもう今のように工夫をしなくても魚が勝手に捕れるくらいにね。川が汚れたのはいろんな理由があるじゃろうけど、日指ダムができたのが大きいじゃろうと思う。そりゃあ、ダムは川の氾濫を防ぐし、みんなを守ってくれちょる。宇佐平野の田んぼは長年水不足で苦しんできて、ダムをつくって農業は助かったわけやけど、その分漁業にしわよせがきちょる。昔は水量が今の 3、4 倍もあったわけ。だけん流れが早かった。水量が減って水が流れんと水が濁ってしまう。うちが思うに、ダムがもともとは川の養分になっちょった山の腐葉土をせき止め、ダム底でヘドロにしてしまったわけ。台風時に水を解放するんやけど、ヘドロ混じりの汚れた水や。川底の石を見たらわかるけど、真っ黒に汚れちょるやろ。これじゃあ青ノリがつかん。それで青ノリの漁獲量が急激に減る事態に陥ったわけや。

川の変化は皆さんでも感じることが出来ます。昔は子供たちが川で遊びよったけど、今はまったくといっていいほど、ほとんどの子供たちが川では遊ばんなったね。濁った川は危険やから。子どもの遊び方が変わってしまったせいでもあるやろうけど。

石に苔がつき、青ノリの生育を妨げる
石に苔がつき、青ノリの生育を妨げる

耕転事業の始まり

昭和45年ぐらいに私が組合の理事になっちょんだけど、もう青ノリが採れんごとなっちょったんじゃ。私が理事会の中で「川の中に川を作ろうじゃねえか。川をね、10のモノを、3分の1に狭くしようじゃねえか。その中に全部水を流そうじゃねえか。そうすりゃぁ10のモンが3分の1の中に流れるから、水量が増えて青ノリが育つんじゃねぇか」と当時の組合長に提案したんよ。「ほーう、そんなことができんのか。どげぇすんのんかやってみな」と組合長から言われたんで、うちが具体的に図面を書いたんですよ。それを組合長に見せて「おーそれいい知恵じゃの。やってみよう」ということから始まったのが耕転事業です。

地道な努力のおかげで

今、石の土手が川の真ん中に2つあるんな。川が3つに分かれている感じになっている(写真参照)。これは自然じゃなくて人工的にバックホーンというショベルカーで石をすくったわけ。

人工的につくられた石の土手の間は水深80センチ
人工的につくられた石の土手の間は水深80センチ

一番難しかったのは、水位の深さが、青ノリの収穫に物凄く関係するんですよ。最初の方はまぁ大体50センチの深さじゃったら、青ノリがよう付きよったけん、50位でいいんじゃろうということで、それよりちょっと深いかなっちゅう位な感じやったですよね。

ほって、やってみたところはねぇ。少しは結果は出ちょんのんですよ。やけんが、自分たちが思っちょん程の結果が出ちょらんわけ。これはダメだと、まだいい方法があるはずじゃということで、まぁ10センチ下げようと60センチの深さにしようという事で60にしたわけ。またやっぱ結果はついてきよるわけ。50よりも60の方がやっぱノリの質もいい。川が深くなれば直射日光を受けても水温が上がりにくいから青ノリの色落ちがしない。じゃから、青ノリがきれいなんですね。ほんなら思い切って80にしてやろうと。で、やっぱその結果はついてくるんですよ。ほんでまぁ、80で3年ぐれぇ引っ張ったんかな。さらに10下げようと90ぐれぇにしようと下げたこともあったけど、今度は深すぎても、石に日が差さんで菌が付きにくいから、ある程度、直射日光が当たらんといかんのやちゅことで、今は80で落ち着いちょる。

ほっでね、去年、ちょっと流れが速すぎるからっちゅうことでね、うちが石の土手の横3か所ぐらい2m幅の穴を開けたんですよ。前は開けんで一気に流れよったわけ。ほって水の流れが速いから青ノリに当たる抵抗が強いじゃないですか。強いっちゅうことは青ノリが揺れて切れるわけ。

去年は天気もよくて、今までの中でねぇ、一番良かったんですよ、本当に。もう、自分としても申し分のないような青ノリも採れたしね。今年もこの調子でやろうかなぁという、一応目標を立てています。

で、バックホーンで川底をさらったら、石を出して洗わないといけないちゅうこと。石を掘り起こしては洗ってきれいにするわけ。温暖化の影響かしらんが、水温が上がりすぎると、石に苔がつき、青ノリの生育を妨げるんじゃ。だから、人間の手で石の苔を地道に落としたりもする。このみんなの地道な努力のおかげで、今ではこのあたりの汽水域(淡水と海水が混ざるところ)では、青ノリだけじゃなくて、シジミやウナギなど川の幸がたくさん獲れるようになったんじゃ。

しじみやウナギもとれるようになった川
しじみやウナギもとれるようになった川

自然との駆け引き

青ノリは、天候にものすごく左右されるんですよ。青ノリを採るでしょう、今日採ったとして明日は干すわねぇ。で、干し上がった次の日は、天気予報で曇りマークじゃったらどうするか、ここが問題なんですよ。こらまた組合長の考え方じゃね。次の日からの週間天気予報を常に見ちょるわけ。ほで、「よし、この曇りマーク、明日は晴れになるだろう」と思えば、曇りマークの時に青ノリを採ります。ほったなら、青ノリ採った次ん日がいい天気になって干されるわけだから。でも、もし晴れると、もう次から次へと伸びが早いんですよ。まぁ、大体1日に30センチぐらい伸びます。だから日にちをおくちゅうことはあまりいいことじゃないんですよ。

収穫量は多いけどんが、こんだぁ結局は採る量ちゅうのは決まっちょんじゃないですか。組合長がみんなの様子を見ながら、この船は大体は積んだなあと、もうこれ以上積んだっち商品価値のいい商品ができないから、早めにストップかけようと。結局は残った分は伸びていくわけやから。伸びていけば潮の抵抗がかかって揺れながら切れて流れる。そこらへんの駆け引きがねぇものすごう大事なんですよ。そこがやっぱり組合長の腕の見せ所ちゅうかね。

うちはもう役員も長いし、組合長も長いから、経験を活かして、あん時はこうじゃったから、今こうじゃったら採った方がいいかなというふうに自分の中で組み立てて、結局は自分で判断して「今日は採るよー、今日は休むよー」とか指示していくわけ。ほんじゃから、なかなかねぇ10何人役員がおっても組合長になると返事しきる人はひとりもおりませんよ。そらそうや。ゆったらあんた責任があるでしょうが、組合長は。だから誰も次に組合長になると言えんのですよ。うーん、難しいんじゃっちゃ。

小野高則の叶えたい夢

取材の様子
取材の様子

私には残りの人生をかけて成し遂げたいことがあるんよ。それは青ノリのブランド化です。今現在、宇佐市水産課の指導もあって、地元の会社と協力して考えているのは、組合の中でグループを作って、ひとつひとつに品質管理の責任者を置いて、質のいい青ノリを効率よく出荷できんかということ。なんとか安定して出荷できる方法を考えんと、漁師も高齢化で採る人が少なくなって、青ノリも手に入らなくなるやろ。このことが今叶えたい夢、人生最後の賭けですよ。でも、その意志を継いでくれる人がおらんから困っちょるんよ、後継者を探さんといけんのよ。

Profile写真 小野 高則

小野 高則(おの たかのり)

生年月日:昭和14年10月18日
年齢:78歳
職業:長洲河川漁業協同組合 代表理事組合長

略歴
平成30年 宇佐市立長洲中学校卒業
昭和40年 河川漁業を始める
平成9年 水産資源保全と伝統漁継承への取組み

取材を終えての感想

集合写真

2年 渡邉 康太

私の、青ノリを作る小野高則さんに取材しての感想は、なんといっても好きなことに対する情熱です。

まず、野球がとても好きな方で、小学4年生からやっていて、そのころからたくさんの大会に参加してたくさんのトロフィーを持っています。ポジションはピッチャーでフォークやカーブ、スライダーなどの変化球が投げられたようです。そのときの“手首のしなり”などが昭和15年から現在まで続けてこられた青ノリ漁に活かされていると小野さん本人がおっしゃっています。

そして、小野さんは、青ノリ漁成功の元となる耕転事業を発案します。このおかげで、青ノリの漁獲量が一気に膨れあがります。ですが、その成功の陰には、耕転事業が成功するまでに何回もの試行錯誤を繰り返しています。つまりは数ある失敗があってこその耕転事業なのです。

小野さんの、人生や仕事におけるモットーは挑戦だそうです。そして、今現在もご自身の夢である青ノリのパッケージ商品化に全力で取り組んでおられるようなので、私もこれからの人生、小野さんのようにいろいろなことを経験して、そして自分自身の目標に挑戦していきたいと思っています。

2年 川嶋 勇輝

今回、お話を聞かせていただいた小野高則さんは、川幅の調節という誰も思いつかなかったアイデアをだして、採れなくなっていた青ノリをまた採れるようにした方です。

この方からお話を聞いていて、私はどうしてそんなことを思いつくのだろうかと不思議でなりませんでした。

私は今まで青ノリといったら、たこ焼きやお好み焼きにかかっている粉といった脇役的なイメージしか持っていませんでした。恥ずかしい話ですが、青ノリは一般的におにぎりに使われる海苔を小さく切ったものだと思っていたのです。

しかし、今回このような貴重な機会をいただき、実際現地の川に行ってお話を聞かせていただき、私のこれまでの想像と全く違うことがわかりました。川で採れる青ノリがどのようなものかだけでなく、青ノリがどのような思いで作られているか、少しは理解できたと思います。その他にも、今と昔の青ノリ産業や、ダムによる河川の水量の減少など、いろいろな話を聞かせていただき、今回の「聞き書き」の体験は私にとってとても充実したものとなりました。

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